訳あって2週間程、東京に滞在していた。
当たり前やけど、神戸とは全然違う。
当たり前やけど、人がめちゃくちゃ多い。
そうなると当たり前やけど、老若男女、幸せそうな顔の人、しんどそうな顔の人、笑ってる人、泣いてる人、etc...
様々な人達が行き交う。
目的を持って、はたまた特に訳も無く。
でも、なんかそういう色があるのは良いなーと。
今回結構多く見かけたのは、それら感情すら読み取れない「無」の人達。
勿論、「東京が〜」とか「都会は〜」とかナンセンスな事を言う気はさらさら無く、それは前述した様に、東京という流動的な船に乗り込む乗組員の絶対数が多いからに過ぎないと思う。
だからこそ街が変わると気付く。
日常の中で見逃していまいがちな"色"を。
当たり前やけど不幸にはなりたい人などそうそう居ない。(中には無意識か意識してかは分からないが不幸になろうとしてしまう癖が染み付いている人もいる。それを俺は潜在的Mだと思っている。まぁ、それは別の話...)
けれど、そういった様々な人々のコントラストを見ていると、やはり幸せを感じる上で不幸は必要なのだと思う。
様々な事に人は幸せを感じるが、幸せが自然発生する事は、余程"気付ける人"でない限り中々無い。
それは「与えられたり」「与えたり」する事象として+または×に作用するものもあれば、「乗り越えたり」「解決したり」する±0にする事だったりする。
個人的な感覚では、何故か前者より後者で得る幸福感の方が強い。
というか、達成感を内包し一種の自己陶酔に似た謎の自信を伴って、長く"効く"気がする。
恐らくそれは、置き換えに近い感覚。
実際は問題など起こらない方が良いし、たとえ解決しても±0が殆どである。
しかし、それでは、それだけでは駄目なのではないかと。
先にあった通り、我々は基本的には幸せになりたいのであって、不幸にはなりたくない、故に回避出来ない問題に直面した際、例え高い壁を越えて進んだ1mでも、ボーッと進んだ1mでも変わりはないという事実を認めたくない。
だって幸せになる為に生きているんやもの。
だから、高い壁を越えた時、つまり不幸を乗り越えたり、状況を好転させた時に幸せを感じる。
不幸にはなりたくないが、不幸がある方が幸せになりやすい(気づきやすい)。
とまあ否定的に描いたけど、果たしてその進んだ距離ってホンマに大事なんかなーというのが自分の正直な気持ち。
ベタやけどその進める距離って人によってバラバラで、若くして死ぬ奴も居れば、粘り強く100歳越えても元気な人も居る。
そうなった時俺はやっぱり凸凹があって時にはしんどくても、楽できる時もあったり、なんやかんやある方が純粋に楽しい気がする。
感情に蓋をして激しい幸福を感じなくても痛みを回避するよりは傷だらけで汚れまくってもなんとか笑える方が好きやなー。
まあ元も子もない事言うと誰彼構わずそういう色を見せるのは良くないという考え方もあるんやろうけど...
人生色々、なんでも有りで何も無し。
どうせ最期には灰になるんやからそれまでは灰色や無くて変化していく万華鏡のような人間になりたいなーと思ったのでした。
夏が非常に好きだ。
自身が夏生まれという事もあるだろうが、やはり季節の中で人間が一番活動的且つカオティックになるのは夏だと思う。
遊びに出かける選択肢が多いのも良い。
ここ数年、仕事の関係で神戸の花火大会を素晴らしい場所で見る機会に恵まれていたのだが、
今年は訳あって(レコーディング)花火を見る事も無く、その響き渡る雷鳴の様な美しき断末魔を遠くに聞きながら(レコーディングスタジオの比較的近くが淀川花火大会の会場)足早にコンビニエンスストアーで買った水で渇いた喉を潤した(歌録りだったので)。
メンバーの都合も合わず、珍しく一人きりで乗り込み、一心不乱に歌入れを行い、エンジニアさんと軽く談笑の後、帰路についた。
街は吐瀉物やゴミが散乱しており、それと同等の酔っ払い達、ホテル街へといそいそと向かうカップル、終電間際の雑踏と汗の匂いや肌の匂いが交差して何とも言えない気持ちになりながら駅へと向かった。
夏が好きだと言いながら歳を重ねると、いつも過ぎ去ってから夏を思い出したりして、「残像としての夏」を実感する事の方が多くなった気がする。
ある程度は遊びに行ったり、それこそ俗っぽくバーベキューなんぞもしたりするのだが、
やはり今でも鮮明に思い出せるのは、自転車を駆り、友人達と虫取りやバス釣りに出かけたり、謎の焦燥感でもってワクワクしたりドキドキしながら空振りに終わった淡い恋の記憶であったりする。
その時の、自転車で転けた傷口から溢れる鉄の匂いや、好きだったあの娘からふわりと香る石鹸と汗の匂いだったり、強い日差しの逆光で表情の見えない友が手を振っている景色だったりが非常に愛おしく感じるのだ。
一人きりの帰り際、センチメンタルにとらわれながら、日中太陽に絆された肌をそっとはだけさせているかの様に、しんと押し黙ったアスファルトの上の余熱を踏みつけると、
夏は皆んな開放的になるからこそ、その後の寂しさが浮き彫りになるのだなあ、故に俺はいつまでも戻らない夏に焦がれているのだなあ、と少し納得して曲の続きを書いてみたりした。
書こう書こうとすると遠ざかるので、思いついた時に書くのが良いなと思い久々にブログを書いてみる。
最近、音楽と旅について考えている。
自身がそもそも毎日の中に「変化」を求めがちな人間(ただの飽き性)なので、昔から漠然と旅をしながら生きたいと考えていた。
しかし、人と何かを共有したいと思うタイプ(ただの寂しがり屋)なので、本格的に旅人となるのは少し不向きかなとも思っていた。
そんな中、音楽をやり始めた時に ライブという表現方法の素晴らしさと、それに伴う必然的な旅、そしてそれがメンバーという仲間と共に続けていける事に気付き、
自分の中での音楽への熱が更に上がった事を記憶している。
音楽は旅をする。
それは旧時代からネットワークが発達した現代も変わらず。
楽曲だけならダウンロードからストリーミングまで様々な方法でどこに居ても楽しめるようになった。
しかし、音楽は物質的に旅をし続けている。
世界中の多種多様な楽団は各地を回り、毎夜演奏をしながらまた次の地へと向かう。
それは、どれほど文明が発達しても温度や質感まではバーチャルでは届けられないという事を意味している。
音楽は時に食事であり、時に酩酊であり、時に恋愛であり、時に悲哀であり、時に眠りであり、時に排泄であり、
全てであり全てでない。
音楽自体は空気の振動であり、旋律やリズムの構成でしかない。
それを生業にする人以外には、どこまでいっても生活の必需品にはなり得ない。
それでも我々は音楽を聴き、笑ったり泣いたり踊ったり叫んだりする。
音楽が鳴っているレストランで食事をし、多くの人は音楽を聴きながら眠り、音楽を目覚ましにする。
形を持たず、触れる事も出来ない。
しかし確実に我々の内側に作用しているのである。
いつも我々は大切なものは直接摂取しなければならい。
結局は口から入るものが肉体を形成するし、薬も体内に入らない事には効果が無い。
我々は今日も旅をする。
正確には音楽に連れて行ってもらっている。
薬の行商人の様に各地を回る、傷薬や中には毒も混ぜて。
イメージする、カリブ海を越えるキューバンやメキシコ湾を渡るレゲエ、ブルックリンからウェストコーストを貫通するHIP HOP、雨の降るイギリスの街角から香港の摩天楼の上を踊るROCK、灰色のブリストルの地下から流れ出るDUB。
見た事の無い風景が小説の様に小節の上を彩っていく。
どこまでも旅は続いていく。